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「キエフの思い出」

 

キエフ国立フィルハーモニー交響楽団による新曲初演は、2009年6月5日ウクライナの首都キエフで行われた。この作品、「Transmutation for Orchestra」は題名が示すとおり、「変容」を意味する。それは、ある夜の夢から始まった。

どこまでも続く砂漠を、ひとりの人間が砂嵐の脅威にさらされて、ふらつきながら、それでもゆっくりと着実に歩みを進めている。時折、すさまじい強風と、この世のものとは思えない生き物の叫びのような、地響きにも似た怒声が相俟ってその男を倒そうとし、砂にまみれ、色あせてしまったマントで全身を打ちつけながらもその男は、つばを深く被り、帽子を右手で必死に押さえながらひたすら耐えている。それでも歩みを止めるわけに行かず、ただただ前を急ぐ。

どのくらいの時間砂漠を歩いていたのか、目を開けることもかなわず固く閉じたその男の目の前がようやく明るくなってきたと気づいたとき、不意に訪れた開放感と強い幸福感で満たされる。

夢には具体的な意味で時間的観念は存在しないのに、気づいたときは、果てしない実時間を経験しなければ味わえない安心感と魂の高揚があった。その感覚はとてもリアルだったが、しかしそう長くは続かず、わたしは目覚めていた。「たぶんあの男は私だったのだ。」しばらくして何故かそう確信した。

「松本明慶先生との出会い」で書いたとおり、この作品のインスピレーションの源は先生の仏像だ。先生が彫られる仏像はものすごいエネルギーを放って生きておられて、我々の心をその圧倒的な存在感で魅了する。無論、それこそが芸術作品の価値であり、そのような作品を生み出すような根源的衝動にかられて私も作品を書き上げたいのだが、それが難しい。深く掘り下げていこうとすると先が見えなくなる。実際に仏像を拝顔すると、本当に幸せを感じる。もしかしたら毘沙門天が砂漠を行く私の心に光を射してくださったのではないか。

最近、創作の時だけでなく生活全般に於いても、私は感覚というものを最も大切にしているので、出会いも夢も、そして私自身の人となりも、私を通してオーケストラで物語られることはわかっていた。作品を書き始めるこの時期に経験した全てのことは必然的に起こったものだ。砂嵐の部分は、ある下がっていくフレーズを基調に、フラクタル図形のようなものをコンピュータで作り、それが1時間48分ほどの音像になった。そこからある部分を選択し、作品に埋め込んだ。暗闇から私を別次元に導くことを具現化する方法として、バッハのコラール「Valet will ich dir geben」を長い残響音が残る教会で聞こえるようにオーケストラ用に作・編曲して、それまでの流れにかぶせることにした。暗から明への変容は基本的に連続する上行形の音群の動きで表現し、精神性を強調するために、高次倍音が多く含まれているイメージの強い「印金」のリムを擦る音を多用した。

オーケストラが終演にさしかかり、物語の最後にこのリム音だけが静かに響くとき、自分でも予測できなかったゆっくりとした時間が流れだし、会場は凛とした空気に包まれ、なんともいえぬ透明感が一瞬の永遠性を形作っていたように感じた。

そう、「変容」は必然の連続が生んだある男の軌跡、そういうこともできる。

 

キエフ1
キエフのホテルにて

キエフ2
キエフの夜

キエフ3
ゲネプロ

キエフ国立フィルハーモニー交響楽団
指揮 シズオ・Z・クワハラ
2009・6・5 コンサートにおいて1

キエフ国立フィルハーモニー交響楽団
指揮 シズオ・Z・クワハラ
2009・6・5 コンサートにおいて2
 
 

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