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「今わたしが思うこと...」

 

ハーバード大学でTeachingFellowとして音楽理論の授業を受け持っていた。そんなある日、教室に入って学生の前に立った瞬間、いつもとは明らかに何かが違うことを直感した。しばらくして彼らの姿にはっとさせられた。そこには見慣れたアメリカ人の彼らがいて、不思議そうに私の方を見ていた。ただ、いつもと違っているのは、私の感覚だけだったようだ。彼らがアメリカ人であることを初めて理解した瞬間だったのだ。いや、もしかしたら私が日本人であることをようやく理解した瞬間だったのかもしれない。

あの日が私のその後の人生を決定づけたといってもいい。30歳を目前にして10数年間のアメリカ生活の終止符を自ら打った瞬間だった。何も理由がなかったが、日本に戻らなければならないことだけはその時気づいていた。何かがそうさせたのだ。

高校を卒業して以来その時まで、私は西洋文明、文化を学び、味わい、必然的に西洋音楽の常識を教え込まれ、渡米以来十数年間に作り上げられた私の価値観が暴走し始めたことで、日本人として生まれ持った本来の私が、その差異に戸惑ってしまったのかもしれない。もちろん、アメリカやフランスでの生活もまたある意味、私の自己形成には必要だったことは間違いない事実なのだが。

数年前、私は初めて中国を訪れた。かつてシルクロードの中心都市として栄えた敦煌の空港に着いた。運良く夕日がまさに今落ちようとしているその瞬間、私はタラップを降りていた。その時の感覚は忘れもしない。「Welcome Home」そんな声が聞こえたような気がした。まだわからないが、私の求めてきた「何か」が私をこの地に向かわせてくれたような気がした。

数日後、敦煌から車にゆられること数時間、目前に迫ってきたものは、嘗ては湖の底だったという、巨大で奇妙な岩群だった。それはどこまでも続いていた。どの方向を向いても同じような岩群が無秩序にただ置かれているようでもあり、しかしまた、計画的に配置されているようでもあった。

今までに見たことも経験したこともない、現実の世界の常識を遙かに超えたスケールで描かれた自然に、ただただ、心を奪われた。大きな枠組みの中の時間軸でしか変化を認識できない時空と、日々変化する我々の生活で流れる時間の差異に再び衝撃を受けた。と同時にハーバードの教室と、この2005年の冬は線で結ばれていることを痛感した。

あの年以降の作品には強い愛着がある。そして2008年、2つの大きなプロジェクトを完成させる。一つはオーケストラ作品、そしてもう一つが音読される声と楽器のための作品群の発表だ。オーケストラ作品は、自分としては実験的なものとなるだろう。詳細は後日発表することにしたい。

 


【湯浅譲二展のお知らせ】

2007年11月3日から12月16日まで、郡山市美術館で「湯浅譲二展」が開かれている。日本でも世界でも優秀な作曲家はたくさんいる。だが、私が最も敬愛する作曲家は湯浅譲二だ。特異な生活環境や地域性、民族性に共鳴する音楽を書くのではなく、もっと根源的で、且つ包括的な意味で人々の魂に訴えかける作品を書き続けている。常に前衛作曲家であり続け、今まで聴いたこともない「未聴感」にこだわりを持ち続ける偉大な作曲家、それが湯浅譲二だ。私の個人的な師でもある。今回、1966~67年に制作された「ホワイトノイズのためのイコン」という電子音楽の作品を聴くスペースの展示に関わった。是非、郡山市美術館に足を運んでほしい。

 

 

 

■郡山市立美術館 湯浅譲二展

http://www.city.koriyama.fukushima.jp/bijyutukan/

 

 

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